:: TWIGGY :: LOVE ME TENDER :: #3 ::

非現実の王国で

2/5 GLAY LIVE TOUR 2010-2011 ROCK AROUND THE WORLD @ さいたまスーパーアリーナ および、「GLAYと私」


ツアーファイナル2daysの1日目。遂にこの目でGLAYを観た…!

セットリスト

シキナ / 汚れなきSEASON / ビリビリクラッシュメン / -MC- / WASTED TIME / More than Love / Cynical / -MC- / 遥か・・・ / Precious / 風にひとり / AMERICAN INNOVATION / 週末のBaby talk / -MC- / Apologize / 時の雫 / Satellite of love / -MC- / FAME IS DEAD / FATSOUNDS / 彼女の"Modern..." / GREAT VACATION / Chelsea
(EN)
月の夜に / -MC- / SHUTTER SPEEDSのテーマ / ピーク果てしなくソウル限りなく / ACID HEAD / -MC- / BELOVED

正直最近のGLAYはあまりわからないんだけれども、でも確かに、夢が叶い、初心を取り戻した瞬間でした。
ライブがいかにすばらしかったかは、わたしには書ききれないので、わたしとGLAYについてまとめておこうと思います。以下どうでもいい自伝、または私は如何にしてこんな風に育ってしまったのか。

わたしが生まれて初めて買ったCDは何を隠そう、安室奈美恵「CHASE THE CHANCE」でした。1995年リリース、わたし当時10歳。TKサウンド全盛一歩手前の時代。わたしもご多分に漏れずアムロわーい、trf(小文字)わーい、小室ファミリーわーい、と騒いでいたものの、踊りながらキャーキャー言われながら歌うカワイイ子たち、にはどうしても違和感を拭いきれずにいました。

(雑談:いま知ったけどtrfってTetsuya komuro Rave Factoryの略なんだってさ。どうかしてるゼ!)

それに加えて、11歳で転校した先の小学校の新しい友達は、みんなませていて、芸能人や流行っているものに詳しくて、そんな環境でその子たちのマネをして大声で「小室ファミリーが好き」なんて表明するなんて、嘘っぽくて恥ずかしくて、プライドばかり高く内気なわたしにはどうしてもできなかったのでした。

そんな中、12歳になってすぐの冬、友達が学校に持って来たCDがこれ

REVIEW 〜BEST OF GLAY〜

REVIEW 〜BEST OF GLAY〜

ドーーーン!わたし史元年を飾る伝説的名盤!
教室のCDプレイヤーで聴かせてもらってなんだこれ?と思い、勇気を出して借り、テープにダビング(「テープにダビング」…!)。「プロデューサーの下、踊って歌うだけなんて没個性的!それに比べてGLAYは自分で作った曲を自分で演奏して自分で歌ってる、バンドサウンドってなんてすばらしいの!ロックンローーーーール!」わたしの音楽好きとしての人生はここから始まったのでした。そこからは「自分が何が好きだ、誰が好きだ」とさえ言えなかった内気さをも破って、一気に転落。古いラジカセで夜中せこせこ聴いていたことを思い出します。(思えばもともとロックな曲調が好きだったのである。ポンキッキーズで一番好きな曲は「ロックンオムレツ」だったしよ。そしてその後、誤るバンドサウンド信者、バンギャルへの道が待っている。とは言え、当時はJ-POPもまだまだ元気な時代だったので、SPEEDや鈴木あみモーニング娘。やなんやらかんやら当時のわたし自身の価値観から言えば「没個性的」な音楽もしっかり聴いてたけどね。)

時は奇しくも、GLAYとしても人気ウナギノボリの頃。名盤「BELOVED」、この世の名バラード「HOWEVER」の後この「REVIEW」で爆発し、あれは忘れもしない、1998年、わたしが中学校に入学したばかりの4/29にシングル2枚同時発売で話題になった「誘惑」「SOUL LOVE」でその人気は不動のものに。L'Arc~en~Cielとともに日本を代表する押しも押されもせぬ人気ロックバンドへと成長したのでした。(ちなみに、当時中学生女子はGLAY派かラルク派、hyde派かJIRO派に二分されていた。わたしはもちろんGLAY派なんだけどとりあえず後述。)

当時わたしがどれだけ憧れていたかわかるかね!恐らく'98-'99のテレ朝カウントダウン番組で(まだ淳の髪の毛が赤い頃のロンブーが司会!ラルクラクリマなど出ていた記憶があるけれどもさすがに1回前のうさぎ年、12年も前のことだと広いインターネットの海からも情報を見つけることはできなかった…いま30分探しました、っていうかこんな伝説的な番組がカウントダウンでどーんと放送されるんだからその時代を感じるよね)、初披露した「Winter, again」は確か2月頭に発売だったんだけどもそのビデオを毎日毎日まーいにち見続けてたら発売前に既に全歌詞丸暗記していたほど。見られるテレビ番組は全てビデオに録画して(もちろん標準で)机の一番下の大きい引き出しに溜めては夜な夜なこそこそ取り出してすり切れるまで観た。ラジオってあんまり好きじゃなかったんだけどそれでもラジアンリミテッドTAKUROさんのコーナーは聴いてた。憧れては泣き、憧れては泣き(ほんとに好きすぎてよく泣いていた)、いつか王子様のように迎えに来てくれるのではないかと思春期の田舎娘らしい妄想力を働かせてみた記憶もある。

そんなに何に憧れていたか。はっきり正直に申し上げますと、HISASHIに憧れていました。彼のあたたかい人間性と尖った先見性と、GLAY爆発前夜のエネルギーとスピードとその時代を写し取った彼の名著「ありがとう」、どれだけ読み込んだかわからない。

HISASHI ありがとう

HISASHI ありがとう

(如何にして彼がギターヒーローとなり得たか、GiGSでの彼の連載「蟻伝説」「蟻列伝」「蟻烈伝」をまとめた1冊。死ぬほど繰り返し読んだけれども大事に大事に大事に読んだのでいまも汚れがない。)

何て言うかただ憧れていた、と言うと語弊がある気がする。憧れというよりはシンパシーだったかも知れない。雪国で生まれすくすくとエネルギーを蓄えた彼はギターという魔法の杖に出会ったが最後、仲間を得て運命づけられていたかのようにスターへの階段を駆け上る。そのサクセスストーリーに反して広がる彼の素朴で真っ白な背景に、思春期のわたしは、自分自身がこうなりたいという理想像を重ねてはふるえた。

思えばわたしがコンピュータ、ガジェット、デジ物がこんなに好きなのもHISASHIの影響である。すぐに休刊となった雑誌「dig・it」が大好きでわたしは毎号読み込んでいた。創刊号の表紙は3Dグラフィック化されたHISASHIだった(2号の表紙はJIRO、3号はGacktだった気が。また当時の人気モデルあんじなども紙面を賑わせ、音楽×おしゃれ×デジタルを提示していた)。CRT一体型のころんとした形にポップな色展開のiMac G3がセンセーショナルに登場した時代、わたしはHISASHIが見せてくれる未来をからっぽの頭に焼き付けた。その衝撃が忘れられないのである(とは言っても我が家にコンピュータ、どでかい17inchのCRTモニタとともにIBM Aptivaがやって来たのは遅かった。それは2001年の年の瀬で、けれども憧れ続けてきたものだから、その後の展開は早かった。翌年2002年の1月末には生まれて初めてのWebサイトを開設。形を変えながらもだらだらと続けいま9年目、2009年には長年憧れていたけれどもすっかり形の変わってしまったiMacを手にし、いまに至る)。

話は逸れましたが…というふうにわたしはHISASHIに憧れ続ける思春期を送った。JIROのこれまた名著「キャラメルブックス」も同じように読み込み影響を受けたし、ポップでキャッチーなJIROのほうが人気があったのは確かだし、「ありがとう」より「キャラメルブックス」のほうが文章も素直でわかりやすく本としての出来もいいと思う、けれども、「SOUL LOVE」のカップリングHISASHI作詞作曲の「アイ」がどれほどわたしに影響を与えたか。毒があって奇怪で難解ぶっていて、でも本質はすごく素直で優しい、ということ。

「あれは忘れもしない、蟻伝のヘビーリーダーだった頃、わたしは確かに、兄さんに強く憧れていたのDEATH。」

まあHISASHI兄さんだけじゃないよ、GLAY自体が好きだったんだけど。

13年目にして初めて観たGLAYはあの頃の印象と全然変わっていなくて、どこまでも愛と希望と夢に満ちていた。逆にわたしが変わってしまったんじゃないかと大げさな絶望すら感じた。きれいごとがよく似合うGLAYのライブに、たまにはきれいごとも大事にしなきゃいけないんだってことを思い出した。夢みること、信じること、愛すること、そして純粋に努力すること。「蟻伝説」〜「蟻烈伝」連載〜「ありがとう」出版時、HISASHI兄さん24〜26歳。ちょうどそこに追いついてその意味とともにやっとはっきりと見えたものだと思う。

読み返すと、連載最後から2つ目の回の「蟻烈伝」の兄さんの言葉に今更ながら衝撃を受ける。それこそまさしく革命前夜、「口唇」リリース前の頃だと思う。(すみません以下引用。)

「蟻烈伝」Vol.11 スター規定突破術

(前略)
忙し過ぎて今までそんな野望も忘れていた自分にハッと気が付いた。そうだ俺がスターなんだ、間違ってもアーティストではない。
(中略)
そんな自分にぴったりな形容詞はズバリ「スター」だ。スターはいつでも輝いてる、周りに気を遣わないけど寡黙でシャイで勤勉家。叩かれることも多いけどそれを糧に成長すると男の年齢として燻銀の輝きを放ちロマンスグレーのヘアスタイルと一言一言の重みを武器にする。離婚してもいい。ポーズをとればたちまち被害者にもなれる人生の俳優だ。ただし裸の王様だと気が付かなければの話だが。それでも僕はスターでいたい。後ろの人間1,000人が笑っているとしても前にいる一万人の為だけに輝き続けなきゃいけないんだ。それはすごく勇気のいることで知力も体力もフル活用して、しかも時間がかかるというヘレンケラー並みの三重苦だ。それを裸の王様だと気が付いてもやり遂げる処にスター性を感じて、身震いが止まらなくなる程憧れる僕はやっぱりスターにならなければならない人間の1人だ。いつかなろう。

ちょっとこれは忙しすぎてどうかしちゃってたのかしらんとも思うところもあるけれども、さい蟻(誤字をも恐れないのも兄さんらしいので真似をする)で観た兄さんは間違いなくスターだった。野心を現実のものとした兄さんの姿に今更ながら涙が出た。

では、わたしは…?当時、長い長い冬にはどんよりと厚い雲から毎日毎日飽きもせず灰色の雪が落ちてくる日々、やりたいことはあってもどうやってそれを形にしたらいいかわからない、行動に移せないいくつもの足枷があった、そんな鬱屈とした田舎の青春時代を送り、これだけその姿に自分を重ね憧れてもライブにすら行けずテープに録った音楽を聞き雑誌や本を読み込むばかり(この件はまた機会があればまとめたい)、けれども真面目に生きていたらいつか、都会で自分で稼いだお金でコンピュータを買ったりライブに行けたりする、思い描いた夢はここにある、ということを当時のわたしに伝えたい!13年目にして遂にGLAYのライブを観た!だからわたしは真面目に生きていく。そしてこれからはそこに少しの野心をプラスしたい。スターにはならなくてもいいけれど、いつかのようにまた憧れたい。憧れすぎて涙を流すほどの激情を忘れたくない。次の13年は…?13年前の、わたしはロックという音楽が好きなんだと自覚した出来事。わたしにとってはイデオロギーと呼べるほどの革新的な精神性とともに、わたしに降り掛かってきた音、その衝撃がいまもずっと続いている。この感動とどうしようもない愛から一生逃れずに、大事に大事にあたため続けていきたいといままた思う。